死人に口なし
物騒なタイトルですが先日、非常に興味深い話をネットで読んだので披露します
(2020.8.23末尾に追記しました)

第二次大戦中、連合軍は、敵地を攻撃後、基地に帰還した爆撃機について、敵軍からの被弾(着弾)の様子を調べ、爆撃機のさらなる強化、補強を考えました。
上記図はその様子。赤いところは被弾した箇所ですが。。。
では、これを補強するとして、どこを補強するのが良いでしょうか
1.被弾した赤いところ
2.被弾していないところ
普通に考えると1に決まっています。2があるなんてひっかけ問題なんでしょうか。
答えはそのとおり、正解は2です
その理由は。。。
上図で被弾の跡がないところに被弾した場合、そのまま墜落して帰還できなかったからです。
逆に被弾したところは、強度があったため、被弾しても墜落せず帰還できたのです。
つまりすでに十分な強度を持っている、ということです。
しかし被弾あとがないところに被弾した飛行機は墜落したため、「ここに被弾すると弱い」という情報を基地に伝えることができなかったです。
これこそが「死人に口なし」。
被害にあってもその理由、情報を伝えることができない、ということです。

もう一度先ほどの図を見ると、例えばエンジン付近は白い=被弾なしですが、エンジンに被弾すると飛んでいけないですから致命的。墜落の可能性が高いといえます。
心理学ではこのような現象、心理を「生存者バイアス」と言います
生存者の情報に意見、視点が偏より、非生存者のそれに気づかない、というものです。
このような例を他にも考えてみます。
1.AKB48
先日、僕の友人が「AKBの初期にライブに行ったがその時、客は7-8人で、それがよく今のようになったもんだ」と言っていました
しかし、例えばA,B,C~の10組のアイドルグループがいて、1組目のAがそのAKB、残り9組は全て人気が出ず解散したとします。
友人が、今はすでに解散したBに行っていたとしたら「あのグループは客は7-8人で結局人気がでなかった」と、ある意味当然の結果となります。
そのようなグループはメディアで取り上げられることはなく、またそれゆえ友人の記憶からもすでに消え去っているかもしれません
記憶に残るのは人気の出た、メディア露出のあるAKBのみとなります。
2.こんなステキなカレシに出会えるなんてキセキ!
彼女をAさん、そのカレシをBくんとします。 そしてBくんよりもっとステキなCくんがいたとします
Aさんが、本来はCくんと知り合い、恋に落ちる予定だったのですが例えばある日、仕事からの帰り道がいつもと別の道だったとか、何らかの理由でCくんとは知り合うことはなく、永遠に他人で、しかしBくんとはお付き合いに至ったとします
現況、AさんはBくんで満足のようですが、運命のいたずらのせいで、それより素晴らしいCくんとは知り合えませんでした。
Bくんより素晴らしいCくんに出会う奇跡は起きなかったのです。
まあ「もしも」を考えてもしょうがないですが、人は生きていく上でいろいろなことを選択し、いろいろな可能性を捨てている、しかも気づかずに、となります
今の自分は無数の選択肢のうちの一つをその都度、選んできた結果。選ばなかった未来を知ることは残念ながらできません。
カレシを自分の仕事、とも置き換えられます
上記に似た例をもう一つ上げます
3.会えなかったスーパースター
世の中にはスーパースターと呼ばれる人がいます。
スポーツ選手。歌手、TVスター。
今ですと野球の大谷選手でしょうか。
あ、僕のスーパースターは明石家さんまさま♪
彼らのインタビューのなかで、
「あの時、〇〇の道に行ってたら今の僕はなかったかもしれないですね」
というフレーズが出てくることがあります。
これも先程の奇跡に出会えなかった彼女さんと同じです。
ここにAさんという、野球のセンス、ピカイチの男の子がいたとします。
彼は中学校で野球部にいて、まだ才能が開花する手前だったとします。
あるとき彼がTVでやっていたサッカーWカップに感激し、のめり込み、
「好きなことやることこそが大事なんだ」と、野球部をやめてサッカー部に入ったとします。
あとはさっきの彼女さんと同じ。
彼は大谷選手なんかかる~く超えるスーパースターになるところだったのですが
その選択肢を選ばなかったのです。
そして野球ファンは彼の活躍も見ることができませんでした。
彼の次に才能がある○○選手を日本一、センスのあるプレーヤーとして
あがめることとなりました。
何人ものスーパースターが我々の前に現れなかったことに
我々は気づくことはないのです
また、もうひとりの僕のスーパースター、アインシュタインはヒトラーによるユダヤ迫害から逃れるためアメリカへ亡命しました。
残念ながらホロコーストで犠牲となったユダヤ人の中にはアインシュタインを超える秀才がいたのかもしれません。
4.株,FXなどの成功者
これらのマネーゲームでは、成功者ばかりに光が当たります。
当然ですがその背後には無数の口なき敗者がいます。
メディアでは「たった○○円が○○倍に!」といった派手なものばかりが取り上げられますが、その他大多数の敗者の話はつまらないので取り上げられず、結果、株をやりさえすれば成功しやすい、という印象になってしまいます
さて、冒頭の爆撃機の例に戻り、我々建築構造の世界でこのような例があるか考えてみます
建物が不幸にも地震で壊れたとしても、建物は墜落して海の中に沈むことはなく、壊れた箇所を後日見ることができますから、
爆撃機のように弱いところが分からない、解明できない、という事態はなさそうです。
まあ、跡形もなく壊れてしまえば爆撃機と同じでしょうが。。
---------
もう少し身近で考えて、例えば確認申請の質疑応答を考えます
質疑で指摘されたところは誰もが気になるところですからしっかりと対処できます。
言ってみれば爆撃機の被弾部です。
しかしもし仮に設計者、審査官とも全くノーマークのところがあればこれは「被弾マークのないところ」に相当するかもしれません
マークがない、まさにノーマークです
設計者、審査官とも、被害がおきて「そんなことが起こるとは思わなかった」となってしまうかもしれません
-----------
過日読んだ飛行機の本にも「事故は設計していないところで起こる」とありました。
設計期間中に一度でも着目すれば、何らかの措置を行いロードパス=荷重伝達路が作られ、それゆえすぐさま壊れることは少ないからです。
上記でその場しのぎの設計をし、ボルト本数が少ないミスをしたとしても全く無いものに比べればマシでしょう
しかし設計していなければ。。。ボルトを1本も打っていない状況に相当しますから秒で壊れてしまいます
まとめると、見落としを減らせ、となるでしょうか。
別の表現ですと「被弾部」は顕在化された問題、「被弾なし」は潜在する問題、となるでしょうか
わかりやすく言えば分かっているか、知られているか否か、です。
例えば世に無数にあるラーメン構造の場合、その弱点などは洗い出され尽くされていますから、「見落とし」の可能性は少なそうです。
俗に言うビルディングタイプ、一貫計算に「乗る」ようなものは上記ですが、そうではないもの、例えばシェル構造とかの空間構造などは個別性が強く、その都度問題を探し見つけ出す必要があるため、問題が潜在する=見落としする恐れもありえる、とも言えます。
問題が起こる恐れがほとんどないからと一生ラーメンだけしか食べない設計しない、という(消極的な)設計士もいるかもしれません
この「生存者バイアス」。心理学で「認知バイアス」=認知のかたより、という分野ですが最近私がいろいろと本を読んでいる分野で、非常に興味深いものです。
(2020.8.23追記)4>
上記で述べたことを以下の図で考えてみたいと思います

水中にいる潜水艦。
我々は地上から水面を眺めているとします
水中と地上。これを顕在、潜在、と例えます。
潜水艦が浮上して、水面すれすれまで来たとします。
しかし地上、水面上に顔を出さず、再び潜っていったとします。
地上の観察者は当たり前ですが気づくことがありません
先に例に上げた、
・理想のカレシとの出会いをのがした女の子
・現れなかったスーパースター
はこれに似た状態です。
ギリギリまで来たにも関わらず、海の底に戻ってしまいました。
見えないのですから気づくことはないのです。
そしてまた、ギリギリまで来た、チャンスを逃した、ということさえ気づかないのです
---------------
我々の世界でありえるのは例えば以下のような状況でしょう
例えば。。RCの配筋検査で、
(現場監督氏)「センセイ、片持ちスラブのここ、ちょっと配筋がスカスカですよ」
(構造担当氏)「そうだな、ちょっと少ないな。カントク、すみませんが少し配筋追加してもらえませんか」
(現場監督)「わかりました。いいですよ」
このようなやりとりで現場で配筋を増したとします。
その何年かあと。ちょっとした地震があり、例の片持ちスラブが上下に振動したとします。
しかし幸運にも左記のやりとりで耐力が上昇し、スラブはひび割れず、安全だったとします
これもこの潜水艦に相当します

幸運にもスラブ筋を追加したため、クラックなどの被害は顕在化しなかったのです
我々は様々な、安全のための措置、鉄筋の増加や鋼材板厚を増す、などの措置をしています。
しかし無事だった場合、なんの結果も生じないため何もわからない、とも言えます。
様々な措置のうち、どれが功を奏したかわからない、とも言えます。
本来、そのような、「どれかわからない」というのは自分の設計を掴んでいない、という悪い意味かもしれませんが、そのような実態も現実ありうる、ということです
とある建物の、ある部材が、壊れるかどうかギリギリのところまで来たが、○○という措置をしていたため壊れずに済んだ、ということに(潜水艦の図のように)気づくことがないのです。
(2020.8.23末尾に追記しました)

第二次大戦中、連合軍は、敵地を攻撃後、基地に帰還した爆撃機について、敵軍からの被弾(着弾)の様子を調べ、爆撃機のさらなる強化、補強を考えました。
上記図はその様子。赤いところは被弾した箇所ですが。。。
では、これを補強するとして、どこを補強するのが良いでしょうか
1.被弾した赤いところ
2.被弾していないところ
普通に考えると1に決まっています。2があるなんてひっかけ問題なんでしょうか。
答えはそのとおり、正解は2です
その理由は。。。
上図で被弾の跡がないところに被弾した場合、そのまま墜落して帰還できなかったからです。
逆に被弾したところは、強度があったため、被弾しても墜落せず帰還できたのです。
つまりすでに十分な強度を持っている、ということです。
しかし被弾あとがないところに被弾した飛行機は墜落したため、「ここに被弾すると弱い」という情報を基地に伝えることができなかったです。
これこそが「死人に口なし」。
被害にあってもその理由、情報を伝えることができない、ということです。

もう一度先ほどの図を見ると、例えばエンジン付近は白い=被弾なしですが、エンジンに被弾すると飛んでいけないですから致命的。墜落の可能性が高いといえます。
心理学ではこのような現象、心理を「生存者バイアス」と言います
生存者の情報に意見、視点が偏より、非生存者のそれに気づかない、というものです。
このような例を他にも考えてみます。
1.AKB48
先日、僕の友人が「AKBの初期にライブに行ったがその時、客は7-8人で、それがよく今のようになったもんだ」と言っていました
しかし、例えばA,B,C~の10組のアイドルグループがいて、1組目のAがそのAKB、残り9組は全て人気が出ず解散したとします。
友人が、今はすでに解散したBに行っていたとしたら「あのグループは客は7-8人で結局人気がでなかった」と、ある意味当然の結果となります。
そのようなグループはメディアで取り上げられることはなく、またそれゆえ友人の記憶からもすでに消え去っているかもしれません
記憶に残るのは人気の出た、メディア露出のあるAKBのみとなります。
2.こんなステキなカレシに出会えるなんてキセキ!
彼女をAさん、そのカレシをBくんとします。 そしてBくんよりもっとステキなCくんがいたとします
Aさんが、本来はCくんと知り合い、恋に落ちる予定だったのですが例えばある日、仕事からの帰り道がいつもと別の道だったとか、何らかの理由でCくんとは知り合うことはなく、永遠に他人で、しかしBくんとはお付き合いに至ったとします
現況、AさんはBくんで満足のようですが、運命のいたずらのせいで、それより素晴らしいCくんとは知り合えませんでした。
Bくんより素晴らしいCくんに出会う奇跡は起きなかったのです。
まあ「もしも」を考えてもしょうがないですが、人は生きていく上でいろいろなことを選択し、いろいろな可能性を捨てている、しかも気づかずに、となります
今の自分は無数の選択肢のうちの一つをその都度、選んできた結果。選ばなかった未来を知ることは残念ながらできません。
カレシを自分の仕事、とも置き換えられます
上記に似た例をもう一つ上げます
3.会えなかったスーパースター
世の中にはスーパースターと呼ばれる人がいます。
スポーツ選手。歌手、TVスター。
今ですと野球の大谷選手でしょうか。
あ、僕のスーパースターは明石家さんまさま♪
彼らのインタビューのなかで、
「あの時、〇〇の道に行ってたら今の僕はなかったかもしれないですね」
というフレーズが出てくることがあります。
これも先程の奇跡に出会えなかった彼女さんと同じです。
ここにAさんという、野球のセンス、ピカイチの男の子がいたとします。
彼は中学校で野球部にいて、まだ才能が開花する手前だったとします。
あるとき彼がTVでやっていたサッカーWカップに感激し、のめり込み、
「好きなことやることこそが大事なんだ」と、野球部をやめてサッカー部に入ったとします。
あとはさっきの彼女さんと同じ。
彼は大谷選手なんかかる~く超えるスーパースターになるところだったのですが
その選択肢を選ばなかったのです。
そして野球ファンは彼の活躍も見ることができませんでした。
彼の次に才能がある○○選手を日本一、センスのあるプレーヤーとして
あがめることとなりました。
何人ものスーパースターが我々の前に現れなかったことに
我々は気づくことはないのです
また、もうひとりの僕のスーパースター、アインシュタインはヒトラーによるユダヤ迫害から逃れるためアメリカへ亡命しました。
残念ながらホロコーストで犠牲となったユダヤ人の中にはアインシュタインを超える秀才がいたのかもしれません。
4.株,FXなどの成功者
これらのマネーゲームでは、成功者ばかりに光が当たります。
当然ですがその背後には無数の口なき敗者がいます。
メディアでは「たった○○円が○○倍に!」といった派手なものばかりが取り上げられますが、その他大多数の敗者の話はつまらないので取り上げられず、結果、株をやりさえすれば成功しやすい、という印象になってしまいます
さて、冒頭の爆撃機の例に戻り、我々建築構造の世界でこのような例があるか考えてみます
建物が不幸にも地震で壊れたとしても、建物は墜落して海の中に沈むことはなく、壊れた箇所を後日見ることができますから、
爆撃機のように弱いところが分からない、解明できない、という事態はなさそうです。
まあ、跡形もなく壊れてしまえば爆撃機と同じでしょうが。。
---------
もう少し身近で考えて、例えば確認申請の質疑応答を考えます
質疑で指摘されたところは誰もが気になるところですからしっかりと対処できます。
言ってみれば爆撃機の被弾部です。
しかしもし仮に設計者、審査官とも全くノーマークのところがあればこれは「被弾マークのないところ」に相当するかもしれません
マークがない、まさにノーマークです
設計者、審査官とも、被害がおきて「そんなことが起こるとは思わなかった」となってしまうかもしれません
-----------
過日読んだ飛行機の本にも「事故は設計していないところで起こる」とありました。
設計期間中に一度でも着目すれば、何らかの措置を行いロードパス=荷重伝達路が作られ、それゆえすぐさま壊れることは少ないからです。
上記でその場しのぎの設計をし、ボルト本数が少ないミスをしたとしても全く無いものに比べればマシでしょう
しかし設計していなければ。。。ボルトを1本も打っていない状況に相当しますから秒で壊れてしまいます
まとめると、見落としを減らせ、となるでしょうか。
別の表現ですと「被弾部」は顕在化された問題、「被弾なし」は潜在する問題、となるでしょうか
わかりやすく言えば分かっているか、知られているか否か、です。
例えば世に無数にあるラーメン構造の場合、その弱点などは洗い出され尽くされていますから、「見落とし」の可能性は少なそうです。
俗に言うビルディングタイプ、一貫計算に「乗る」ようなものは上記ですが、そうではないもの、例えばシェル構造とかの空間構造などは個別性が強く、その都度問題を探し見つけ出す必要があるため、問題が潜在する=見落としする恐れもありえる、とも言えます。
問題が起こる恐れがほとんどないからと一生ラーメンだけしか
この「生存者バイアス」。心理学で「認知バイアス」=認知のかたより、という分野ですが最近私がいろいろと本を読んでいる分野で、非常に興味深いものです。
(2020.8.23追記)4>
上記で述べたことを以下の図で考えてみたいと思います

水中にいる潜水艦。
我々は地上から水面を眺めているとします
水中と地上。これを顕在、潜在、と例えます。
潜水艦が浮上して、水面すれすれまで来たとします。
しかし地上、水面上に顔を出さず、再び潜っていったとします。
地上の観察者は当たり前ですが気づくことがありません
先に例に上げた、
・理想のカレシとの出会いをのがした女の子
・現れなかったスーパースター
はこれに似た状態です。
ギリギリまで来たにも関わらず、海の底に戻ってしまいました。
見えないのですから気づくことはないのです。
そしてまた、ギリギリまで来た、チャンスを逃した、ということさえ気づかないのです
---------------
我々の世界でありえるのは例えば以下のような状況でしょう
例えば。。RCの配筋検査で、
(現場監督氏)「センセイ、片持ちスラブのここ、ちょっと配筋がスカスカですよ」
(構造担当氏)「そうだな、ちょっと少ないな。カントク、すみませんが少し配筋追加してもらえませんか」
(現場監督)「わかりました。いいですよ」
このようなやりとりで現場で配筋を増したとします。
その何年かあと。ちょっとした地震があり、例の片持ちスラブが上下に振動したとします。
しかし幸運にも左記のやりとりで耐力が上昇し、スラブはひび割れず、安全だったとします
これもこの潜水艦に相当します

幸運にもスラブ筋を追加したため、クラックなどの被害は顕在化しなかったのです
我々は様々な、安全のための措置、鉄筋の増加や鋼材板厚を増す、などの措置をしています。
しかし無事だった場合、なんの結果も生じないため何もわからない、とも言えます。
様々な措置のうち、どれが功を奏したかわからない、とも言えます。
本来、そのような、「どれかわからない」というのは自分の設計を掴んでいない、という悪い意味かもしれませんが、そのような実態も現実ありうる、ということです
とある建物の、ある部材が、壊れるかどうかギリギリのところまで来たが、○○という措置をしていたため壊れずに済んだ、ということに(潜水艦の図のように)気づくことがないのです。
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